世田薬師について

世田薬師とは

道前平野より北を望むと山並みの一番右端に、世田山と呼ばれているおにぎり形の(宝珠)山があります。数少ない瀬戸内海国立公園の陸地部指定を受けた観光の拠点でもある世田山にある「世田薬師」は、「きうり封じ」等の病気封じ、健康祈願のお薬師さんとして全国に知られる、約1300年の歴史を持つ古刹です。

世田薬師の本堂
世田薬師の本堂
この「世田薬師」という名前は正式ではなく、地元の人々からは親しみを込めて呼ばれている愛称です。西条市と今治市の境にある世田山(335m)の山上に奉られているお薬師さんだからというのが、この愛称の由来です。正式には山号を世田山、院号を医王院、寺号を栴檀寺といいます。この栴檀寺という名前は、神亀元年(724)行基四国順錫の折、山上に薬師如来のご来迎を拝し、そのお姿を「栴檀は双葉より芳し」という栴檀の一木に刻み寺を開いたことから名付けられたと言われています。お奉りしているご本尊は、身丈9尺の珍しい立像の薬師如来なのですが、秘仏である為、一般には公開していません。この立像の薬師如来は、特に霊験あらたかと信仰を集め、近隣に末寺十二坊を数え、山岳仏教の一拠点として栄えたといわれています。昭和2年に世田山山上より大師堂と、三宝荒神堂等を山麓に移し、本坊を開基した事で、山上(奥の院)と山下に伽藍を有する現在の姿へとなりました。

世田薬師の本堂正面

世田薬師の本堂正面

奥の院に残る旧本堂の彫刻

奥の院に残る旧本堂の彫刻


長い歴史を持つ「世田薬師」は、色々なめずらしい信仰の行事があるのですが、その代表的な行事に300数十年前より伝わる「きうり封じ」があります。夏の土用丑(うし)の日に「う」のつく「きうり」で身体健康、病気平癒を祈祷します。今では、テレビ番組でも度々取り上げられているので全国的に有名な行事となっています。この為、近年では厄除け、病気平癒、健康、合格、良縁祈願等の方々が多く訪れ賑わっています。

腹こわり石

世田薬師奥の院、手前の石は触るとお腹を壊すと言い伝えられている「腹こわり石」です。

荒神様

本堂右手にある荒神様は、台所の神様です。


歴史のお寺

大館氏明の墓
新田義貞の甥にあたる大館氏明の墓
中世の頃、「伊予の剣」と言われる世田山には、かつて今治地方に置かれていた伊予の国府を守る最後の砦として世田山城が築かれていました。その世田山城は「世田山城が落ちると伊予の国は亡ぶ。」といわれる程、軍事的に重要な拠点であったようです。

太平記巻二十二「世田山の合戦」によれば、興国3年(1342年)、新田義貞の甥にあたる大館氏明が伊予の守護として世田山城を護っていたところに、北朝方の細川頼春が―万余騎の大軍を率いて攻め込ん来ました。大館主従は善戦するも敗色濃厚で、最後には世田山城に籠城し、これまでと城に火を放ち切腹するという壮烈悲惨な落城の様子が書かれています。

この後も世田山城を舞台にした戦が繰り返され、正平19年(1364年)の河野通朝と細川頼之との戦いや、文明11年(1479年)には細川義春と河野通生との大戦もありました。このように日本の中世史度々登場する世田山城ですから、同じ世田山にあった栴檀寺の運命も例外ではなかったようです。

参道の石仏

奥の院へ続く参道には、数百メートルごとに様々な表情を見せる石仏が置かれています。

空海のわき水

空海によるといわれているわき水。この世田薬師にも空海伝説は息づいています。


参道の石仏
参道の石仏

観光のお寺

「えびめの自然100選にも選ばれた」にも選ばれたこの一帯は、瀬戸内海国立公園に属ししています。眼下に広大な道前平野を望み、南に石鎚連山、東から北に瀬戸内海、山頂からはしまなみ海道・来島大橋が―望できる大パノラマを誇る世田薬師への参道からの絶景は、標高がたったの335mしかない山とは思えないほどです。

土砂加持大法要

道前平野と、石鎚連峰。

土砂加持大法要

瀬戸内海と、来島海峡大橋。


また、世田薬師の周辺は民話が多く伝承され、特に世田山上にある本堂の向拝についた左甚五郎の胴を切られた水呑み竜の話しは特に有名です。世田薬師の近くにある、国道196号線沿いには、この竜を名前の由来持つ蛇越池があります。

世田薬師概要

山号 世田山
院号 医王院
寺号 栴檀寺
住所 〒799-1302 愛媛県西条市楠乙454番地
電話番号 0898-66-5417
FAX番号 0898-66-5560